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2005年04月09日
天国に一番近い桜
お花見情報サイトを見ると、弘川寺は今が見頃。しかも明日は雨の予報。
先月27日のプランAを実行するのは今日しかない。
電車の中ではずっと西行に関する本を読んでいた。
今でこそ桜を詠んだ歌は数え切れないほどあるが、西行以前は少なかった。
そこで古くから桜の名所だった奈良の吉野山。今でこそ観光客を呼び集めているが
平安時代までは山岳信仰の霊地だった都合で余り人を寄せ付けなかったため、
歌に詠むにしても遠巻きに見る程度や伝聞で済ませていた模様。
西行は山に分け入って庵を結んで毎年のように訪れて木の下まで行って
花に埋もれて桜を詠んだ点で画期的だった。そしてあの歌が誕生する。
-ねがはくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃-
つまりこの句は吉野の桜の感想を詠んだものであって別に辞世の句ではない。
「桜スゲーやっぱ死ぬときはこんな花の下だよなマジお勧め」
ぐらいの気持ちだったのでは。満月のオプションは欲張りすぎの感も。
ちなみに換算サイトで1190年(建久元年または文治6年)2月16日と、
日付が旧暦だとして3月23日の二つの日付で確かめた所、満月とは言い難い。
この「望月」は旧暦の一ヶ月で15日の夜を示したものと考えた方が自然。
2月15日、それは釈迦入滅の日。
これから行こうとしてるのは終焉の地(と信じられている場所)。
西行について少し。西行は号で出家前の名は佐藤義清(Norikiyo Sato)、
18歳で左兵衛尉、鳥羽院北面に仕える。
北面の武士(ぶし)
上皇の御所を守護する武士。白河院の時初めて設置。
四位・五位を上北面、六位を下北面という。ほくめん。きたおもて。
(国語大辞典(新装版)小学館 1988)
この役職、院の警護だけあって条件が厳しい。
・弓馬に長ける
武士として基本的なスキルだからね。
・詩歌管絃に堪能
貴族たるもの筋肉バカじゃ困るからね。
・イケメン
…趣味?
さておき若かりし日の西行はこれらを条件を満たしていたということ。
しかも家柄も古く領地(荘園)も肥沃な平野。今で言うところのセレブ。
これは世の女性が放っておかないと思ったら実際朝廷に仕える女房達と仲良くしていた模様。
しかも出家したあとも人気はあり本人あまり拒む様子無し。きぃー。
朝9時ごろ富田林駅よりバスに乗る。よくこんな細い山道をすれ違えるなと思いながら到着。

この坂を登った先。バスの乗客は3人くらいしか居なかったのに駐車場は埋まっていた。
境内に入って最初に目に入ったのは見事な枝垂桜…を取り囲む壮年カメラマンの方々。

金と時間は幾らでもあるぜと言わんばかりの豪華な機材、巨大なレンズ。
なんだか手持ちの小型デジカメ(ディマージュX21)を出すのが忍びないほど。
瓦や石塔の家紋の種類を数えて待ってるとSKと合流。よくこんな山道まで原付で。
本堂そっちのけで横にある、さながら白玉楼の如き長い石段を登り始める。
(写真は下から上に登るように張り合わせたもの)

会話ピックアップその一、登り始めの石段横の看板を見て
SK「庭には天然記念物のカイヨウドウがあるんだって」
ス「へぇ」
(一分経過)
ス「海洋堂じゃなくてカイドウだろ」
SK「ツッコミ遅ぇよ!」
ス「あの世は音速が遅い」
会話ピックアップその二、途中の西行堂裏にある石碑を見て
SK「なんて書いてあるんだろ」
ス「龐涓死此樹下(ホウケンこの樹の下に死なん)」
SK「死亡フラグ?!」
馬陵の戦いネタについてこれる奴はそういないと思った。
会話ピックアップその三、石段途中の石碑を見て
SK「なんて書いてあるかさっぱりだ」
ス「『あなたはここで斬られてお終いなのよ』って」
SK「5ボス?!」
石段が途絶え森の中ぽっかり空いている広い場所に出た。そして右に目的地。

それは塚という表現が相応しかった。さっそくグレイズ。

ところでこの開けた場所石碑だらけ。西行墳の前には「願はくは~」の歌碑が、
左横の大きなものにはいつどこで詠まれたか不明だが有名な句
-仏には桜の花を奉れ わが後の世を人とぶらはば- が刻まれている。
(注:後で入手したリーフレットで確認。石碑の字は正直読めない)

西行墳の反対側にはまた別の人物が眠る。

似雲(じうん)法師の墳。江戸時代の歌人にして西行の足跡(北は奥州、南は四国と
西行はかなり行動派だったから一苦労)を辿ったりと熱狂的な西行フリーク。
その様から今西行と呼ばれもしたが本人曰く
「西行に姿ばかりは似たれども 心は雪と墨染めの袖」。
西行終焉の地を弘川寺と突き止めた(と言うか、決め付けたもしくは信じ込んだ)。
その日付は1732年(享保17年)2月16日。ジャスト命日、実話なら出来過ぎている。
(注:実話なら、と言ったのはここが本当に西行終焉の地かさえ怪しいという意味も含む)
でもたしかこの前後から享保の大飢饉。それでも趣味に走ってるあたり漢だ。
更に上にも道はあるようだが、帰りのバス1本逃すと2時間待たされるので断念。

下山して真っ直ぐ向かう先は春と秋に一ヶ月ぐらいしか開かない西行記念館。
それはそうと境内にカメラマン明らかに増えてる。

受付「いやー平均年齢下げてくれてありがたいわぁ」
そうですね同人STGやってなかったら一生訪れなかったでしょう。
入り口で入館料を払い、リーフレットを拾う。
弘川寺の境内に登る前、入り口の案内板を見てからの違和感が形になった。
どうもここの関係者は「願はくは~」の句が吉野で詠まれた点に触れようとしていない。
どう読んでも、ここで入滅するきわに例の句を辞世として詠んだ印象を受ける。
出家して間もない頃の句より、本人が生前最高傑作と言ってたのがちゃんとあるのだが。
それは出家から40年以上経った頃、二度目の奥州行きで富士山を詠んだもの
-風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかな-
苦しい恋に身を焦がし友人の死に命を儚み妻も児も地位も捨て
入道の身でありながら山伏修行をしたり弘法大師の足跡を尋ねに四国の善通寺まで旅したり
平安末期の動乱を迷いに迷いぬいて、結局最後まで迷いっぱなしだった。
それは風に流れる富士の煙にも似て。
究極の諦めにして究極の悟り。答えを出して安心するのではなく無限の問いかけ。
西行自身の経てきた時間と空間が句と結び合うとき、永遠の未完成が完成する。
この句より辞世に相応しいのはあるだろうか。
閑話休題、靴を脱いで建物の中へ。天然記念物のカイドウは見頃ではなかった。

それにしても立派な庭。

と、ここでSKがあることを指摘。

庭園と石庭の違いは大きいが、言われてみると白玉楼に見えてくるから不思議。
更に先に進むとまた玄関があり、サンダルが常備されている。
記念館に入るには一度外に出る必要がある…なんとまだ西行記念館に入っていなかった。

それにしても見事な桜。

一応グレイズして稼いでおく(何を

展示物は肖像画や木像など、それほど目新しいものがあるわけではない。
事前に相当勉強した西行フリークの「○○の実物を見たいっ!」って願望を叶える程度。
それ以前に、弘川寺に来る人の大半は桜か紅葉目当てって気がしなくもない。
自分は相当イレギュラー。そろそろ立ち去る事に。

桜と竹が同居。次は龍料理か。
駐車場まで戻り、山に目をやると点在する桜のやはり見事なこと。
「山笑う」とはよく言ったものである。

SKと日本橋で合流する場所を決め一旦解散、バス停まで駆け上がる。
程なくしてバスがやってきた。時間ギリギリだったってことか。
…朝と比べ物にならない人数の山歩き仕様のお年寄りがぞろぞろ降りてきた。
ああ、この辺は死臭でいっぱいだな。
投稿者 swintarow : 2005年04月09日 22:16
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コメント
テスト前で、西行の辞世の句を調べていたらここにたどりつきました。イケメンで金持ちなんていーな。そんな人と付き合いたいものですね。ありがとうございました。
それより驚いたのは鷹さんが漫画に?!ゴールドフィンガーの描写できるのかすげーみたいです・・・。
投稿者 塚田 : 2005年07月25日 23:31
コメントまで頂いてるというのに気付くのが遅れるなんて完全放置中にも程が。
自主制作シューティングゲーム「東方妖々夢」を遊んでいない人には
端々に挟まれるネタがさっぱりな記事ですが、お役に立てたなら幸いです。
それにしてもえらい過去ログ読まれてしまった… 行為より心理描写が目につく漫画でした。
西行については死に際が注目されがちですが、一人の人間としても興味深いものが。
眉目秀麗にしてスポーツ(乗馬・蹴鞠等)万能だった若い頃を考えたら
女性との接し方は慣れていたであろう、加えて九代相伝の兵法知識を持ち
さらに仏教思想も備わってるとなればトークが面白くないはずがない。
(実際、源頼朝は一晩話し込んで銀製の猫をプレゼントしている。
吾妻鏡6巻によるとその猫フィギュアは「於門外与放遊嬰兒云々」
門の外で遊んでた子供にポンと譲ってしまったそうな。)
一方で4歳になる娘を蹴飛ばしてまでの出家、それほどの強烈な引き金は何か。
そして当時としては長い一生の中で、義経も平泉の藤原も平家もいなくなった。
晩年近くにわざわざ地獄絵を見て歌を詠んだ心境はいかに。
テストの知識で済ませるのはもったいない人物じゃないかと。
暇があれば図書館などで是非。
投稿者 swintarow : 2005年07月27日 21:09